5月としては、気温は高め、しかし、風があるので心地よい歴史散歩となった。鐘ヶ淵駅を出発、「古東海道」を西へ、旧隅田村に入ったところで「下の道」と交差する。さらに進み、墨堤通りを横断すると木母寺旧地に至る。木母寺は、東京都の防災拠点(都営白鬚東団地)造成のため、隅田川沿いに移転を余儀なくされ、由緒ある古隅田川河口は埋め立てられ破壊されてしまった。梅若伝説(謡曲・隅田川物)ゆかりの地、旧河口・水神の森の景観は、共に失われてしまった。「旧墨堤の道」は、度重なる整備によって、大きく変わってしまったが、「白鬚神社」から「子育て地蔵」までの湾曲した古道にその面影を残す。また、地蔵坂通りは「ツル土手」と呼ばれ、江戸期以前の海岸線であったというが、その面影は全く見られない。白鬚橋を渡ると、台東区・荒川区側には「橋場の渡し」「真崎の渡し」「隅田川の渡し」等と呼ばれる渡しがあったのだが、正確な場所は判然としない。この辺りは、謡曲・隅田川物と共に伊勢物語の舞台となった地域であった。桜橋を渡って、再び「旧墨堤の道」に戻る、ここも度重なる整備によって、大きく変貌している。明治初期、土手から牛嶋神社へ下る坂の入り口に建立された常夜灯が残されているが、牛嶋神社自体は言問通りの南側に移転していった。土手下の「言問団子」、「長命寺桜もち」を横目に見ながら移転先の牛嶋神社に向かう。移転先の牛嶋神社境内にあるJA東京グループの案内板によると、この地域には、大宝律令により国営の牧場が設置されたとあった。東京スカイツリー駅はもう目前であった。(写真は白鬚神社脇の『旧墨堤の道の名残部分』、2017年晩秋撮影)
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