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2017年10月30日(月)
歴史散歩…六本木−飯倉−麻布市兵衛町−赤坂氷川町−赤坂一ツ木町…
六本木交差点を出発して深廣寺へ、深廣寺には「江の灰塚」と佐藤一斎の墓があるというが非公開だ。次に、大名や高級旗本の屋敷が建ち並んだという鳥居坂通りへ向かう。現在は、フィリピン大使館、東洋英和女学院、香淳皇后生誕地・国際文化会館などが立ち並ぶ落ち着いた高台だ。外苑東通りに戻り、外務省飯倉公館、ロシア大使館、アフガニスタン大使館と辿ると、日本経緯度原点・国立天文台発祥の地に至る。この地から、北方へ真っ直ぐ古道を歩くと、我善坊谷に下ることになる。大名屋敷が建ち並ぶ南北高台に比較して、下級武士が住んだというこの我善坊谷は、やはり、昭和の面影が残る。旧麻布市兵衛町の高台に上る。かつての大名屋敷地には再開発ビルが建ち並ぶ。明治維新後、静寛院宮・和宮が住んだところでもある。旧麻布市兵衛町から御組坂を下って旧麻布谷町へ至るのだが、今は、泉ガーデンタワーが谷をふさいでいる。反対側の台地に上る坂が南部坂、坂上は忠臣蔵ゆかりの地である。元禄以後は、氷川神社が移転してきた。この旧赤坂氷川町一帯は幕末から明治にかけて勝海舟が住んだところでもある。旧赤坂氷川町(台地)を下り、向かいの旧赤坂一ツ木町(台地)を上る。この台地は、江戸になってからは浅野本家の中屋敷地として知られ、明治になってからは、近衛歩兵第三連隊の本拠地であった、現在はTBS・赤坂サカスがある。陸軍の名残は、記念碑と区画に残された境界石に見ることができる。(写真は、日本経緯度原点 港区麻布台)
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2017年5月8日(月)
歴史散歩…牛込地区(飯田橋−神楽坂−榎町−早稲田−高田馬場)…
牛込門跡から出発、先ず驚くことが、早稲田通り(神楽坂)の狭さ、その為、神楽坂が午前と午後で一方通行になっていること、江戸の香りがします。石畳の路地に老舗の料亭。新宿区まちなみ景観賞も受賞している情緒あふれる兵庫横丁、さらに、急坂を上ると、牛込城址(現・光照寺)に出ます。光照寺から西に向かうと、そこは、幕府旗本・御家人の住まいがあったところ、江戸期の町並みが続き、御徒町、納戸町、払方町、細工町、箪笥町などの町名が未だに使われています。その一角に、文人・大田南畝(父親が御徒)の生誕の地がありました。大久保通りを横断して台地の上へ出ると広大な矢来町が広がります、小浜藩酒井家の屋敷地跡です。再び、早稲田通りに出て西へ向かい、榎町の済松寺(春日局の補佐役・祖心尼が開基)を見学、規模の大きさと、ありのままの自然に驚かされました。弁天町には、弁天社・宗参寺があります。宗参寺は牛込氏の菩提寺、いまでも累代の墓域がありました。外苑東通りを早稲田方面へ向かうと、元赤城神社・「神崎の牛牧」碑があります。こここそが[早稲田][牛込]名称の発祥の地、注目度が低いのが残念です。早稲田大学を横断して早稲田通りに出ると、坂上に高田馬場、JR高田馬場駅とは約1km離れています。早稲田通りをすこし戻ると、穴八幡、ピカピカの社殿と流鏑馬像が目につきました。
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2017年4月3日(月)
歴史散歩…新川−永代橋−門前仲町−冬木町−仙台堀川−清澄白河…
江戸初期、隅田川河口の砂州を造成して霊厳寺ができたが、明暦の大火で焼失、深川へ移転。霊厳寺が去った後、河村瑞賢がさらに造成を重ね、新川を掘削して、下り酒問屋街が形成された。亀島川下流河岸は「将監河岸」といわれ、「幕府の御船手組屋敷」があり、江戸湊発祥に繋がった。明治維新以後も、霊岩島水位観測所が置かれ、標高の原点となる「東京湾平均海面、T.P.0m」が計算された。江戸期の永代橋西詰を横目に、現永代橋を渡り門前仲町へ、富岡八幡宮門前は辰巳芸者で賑わったところ、現在でも、飲食店は多い。廃寺になった永代寺に代わり、深川不動堂が立派な堂宇を構える。冬木町から仙台堀川へ向かう、明治初期の地図を見ると、至る所に堀割があり、材木の集積地であった事が見て取れる、が、現在は、埋め立てられて面影はない。ただ、材木商冬木家の邸内池に祀られた弁天堂だけが当時の面影を偲ぶ。仙台堀川のほとりに、芭蕉がおくの細道に出発したという「採荼庵」があった。江東区白河町とは松平定信(霊厳寺に埋葬)に因んだ町名、昭和になってからの命名という。清澄には芭蕉と仏頂禅師が親交を深めたという臨川寺がある。
(写真は、永代通りのガードレール、旧永代橋と辰巳芸者のパネルがある)
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2016年11月28日(月)
歴史散歩…新橋−汐留−築地−聖路加−佃島−石川島…
新橋駅を出発、ここでのポイントは日本鉄道発祥の地・旧新橋停車場。日本初の鉄道は、伊達家・脇坂家といった大名屋敷跡から始まった。都心に突然大きな空き地ができる、それが新しい時代の追い風となった。築地地区に入ると、ここも大名屋敷の跡地、日本海軍発祥の地になった。水路部が測量を担当し、それが結局は東京天文台に繋がる。当時の海軍は、今では想像のつかない超エリート集団であったようだ。明暦の大火で移転してきた、西本願寺は相変わらず築地の中心にあるが、本坊と子院群の間には晴海通りが通り、子院の数も激減、場外市場に溶け込んでしまった。聖路加地区は、たびたび住人が変化している。浅野家−奥平家などの大名屋敷、その後、外国人居留区となり宣教師によるミッションスクールが多数生まれた。ミッションスクールが都心に移動した後は、聖路加の施設が中心である。解体新書の翻訳地(奥平家屋敷地)が聖路加国際病院となっているのは何かの因縁か?東京オリンピックの時に佃大橋ができたという佃・石川島地区、石川島地区の高級マンション群は印象的だ。昔からの佃煮屋さんも3軒営業していた。
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2016年10月31日(月)
歴史散歩…有楽町−山下門跡−心字池−霞ヶ関坂−桜田門−憲政記念館−平河天満宮−麹町…
JR有楽町駅を出発し、まず南町奉行所跡−数寄屋橋門跡−山下門跡へと向かいました。外堀には高速道路が山下門跡上にはJR山手線が走っていました。山下門内側の大名屋敷は、帝国ホテルや鹿鳴館跡になっていました。日比谷公園は大名屋敷跡ですが、堀の一部は公園内に心字池として残されました。心字池の石垣上からは日比谷入り江を想像できる景色が望めました。意外にも霞ヶ関の中央部は江戸期の町割り・坂がそのまま残されていました。井伊家屋敷跡はほとんどが憲政記念館になっていますが、ここから眺める桜田門は幕末の事件を連想させます。三宅家屋敷跡は三宅坂という名前に名残を残しています。平河天満宮では江戸城内の梅林坂を思い出させ感激します。地下鉄有楽町線麹町駅コンコースには「麹町は江戸切絵図発祥の地」という広告があり、本日の散歩の疲れを癒やすことができました。
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2016年10月8日(土)
Asahi-netを退会して、「Yahoo! BB ADSL 12M」へ移行完了
6月に、Asahi-netから「アッカADSLサービスが2017年2月末で終了」との連絡、代わりのサービスとして「イーアクセスADSL」を勧められたが、私の地域では利用できず。Asahi-netでは、ホームページとメールを利用していたので、直ぐには動けないという事情もあり、取りあえずフレッツADSLへ移行して様子見。Yahoo! BBでADSL12M入会キャンペーンをやっていたので、Asahi-netを退会することにした。料金はキャンペーンで1456円と「Asahi-net・アッカADSLサービス」よりは約500円安く、速度も10Mbpsと少しスピードアップした。履歴参照...

2016年5月9日(月)
歴史散歩…四谷見附−四谷寺町−荒木町−四谷大木戸跡−玉川上水跡−内藤新宿跡−新宿追分…
JR四ッ谷駅を出発し、切り絵図通りの旧旗本屋敷路地を抜けると四谷寺町です。西念寺→愛染院→鮫河の谷道→日宗寺→戒行寺→西應寺→於岩稲荷と辿りました。新宿通に出て、反対側の谷へ向かいます、江戸期には松平摂津守上屋敷があった荒木町地区。維新後、花街だった名残があちこちに、小さな飲食店がひしめき合っています。再び新宿通に出て、四谷大木戸跡(四谷四丁目交差点)に向かいました。交差点に立つと、新宿御苑トンネル・四谷区民センターが目立ちます。新宿御苑トンネルが旧玉川上水跡ですから、四谷区民センターが水番屋跡になります。旧玉川上水余水吐跡が暗渠になって残っているので見るために、外苑西通りを南下。途中に多峯内藤神社がありました。四谷区民センターから、新宿御苑方面を見ると、順に「内藤駿河守下屋敷跡、玉川上水散歩道、旧玉川上水跡、内藤新宿跡」を一覧することができます。内藤家菩提寺・太宗寺、正受院、成覚寺を経て新宿追分(江戸期には甲州街道、青梅街道の分岐点)で終了となりました。
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2016年4月4日(月)
歴史散歩…神田お玉が池−神田多町−筋違見附周辺−神田駿河台−神田錦町−北の丸…
JR秋葉原駅を出発し、岩本町・お玉が池跡(近代医学発祥の地)−神田多町(神田青果物発祥の地)−筋違見附跡(中山道と御成道)−神田駿河台(武家屋敷跡)−神田錦町(高等教育発祥の地)−一ツ橋・清水門・田安門、九段下終点でした。神田地区には、昭和通り・靖国通り・外堀通りなど江戸期にはなかった大通りが走っていますが、細かい路地は江戸期のまま残っていて、町名に江戸の名残を見いだすことができます。また、清水門・田安門がそのまま残存している北の丸は手つかずの江戸があります、史跡保存も「移転保存」ではなく、ビルの谷間になっても「現地保存」してほしいですね。
※このページトップの写真は清水門・高麗門内側より千代田区役所方面を望む:江戸期の建物と近代建築の対照的な美しさ(?)があります。千代田区役所には「大隈重信雉子橋邸跡」の碑がありました。その碑文の中に「この屋敷で東京専門学校(早稲田大学)設立の構想を練った」とありました。※
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2016年2月17日(水)
自宅にメジロとジョウビタキ出現
シジュウカラ、メジロ、ジョウビタキが自宅の庭にやってきました。数羽のメジロがキンカンの実をついばんでいました。写真としては、黄色い実よりも赤の方が良かったかもしれません。メジロ・ジョウビタキの大きい写真はこちら。

2016年2月16日(火)
「歴史散歩」部分を他サーバーに移転
「歴史散歩」はこの3年で10回になりました、写真を多く使っていますので、ASAHIネットの割り当て容量一杯になりそう。「歴史散歩」部分のみ、エクストリムレンタルサーバーに移転することにしました。移転先トップページ[江戸→東京、歴史散歩]もありますが、「Internet Walk」サイトから見た場合は、従来と全く変わらずに見えるはずです、よろしくお願いします。

2016年1月31日(日)
Windows 10 Pro に無償クリーンインストールで快適に
無償アップグレード期間が、2015.7〜2016.7までの1年間なので、ここで、アップグレードに挑戦。初め、Windows 8.1 Pro with Media Centerからの上書きアップグレードを行ったが、Windows 10 Proの立ち上がりが遅くなってしまい、直ちにWindows 8.1に戻す。次に、Windows 10 Proのインストールディスクを作成、マイクロソフトサポートに従って、無償クリーンインストールを行った。すべてのアプリケーションソフトを入れ直すという大変な作業の後でも、快適に動作している。やはり、今回も、クリーンインストールが上策という結果になった。

2015年12月3日(木)
歴史散歩…小石川−傳通院、及び、その周辺…
11月16日(月)、錦絵・古地図・切り絵図・史跡を基に、その現在を訪ね、「時空を超えて残るもの」を検証する、東京歴史散歩。今回は、茗荷谷駅を出発し、水戸徳川家関連の大名屋敷跡、江戸時代以前からある古刹、「陽だまりの樹(手塚治虫作)」の舞台になった手塚良仙宅跡、神田上水跡、徳川家康の生母の菩提寺傳通院、その周辺を歩きました。この地域は、大名屋敷・社寺の間に武家屋敷が密集していた地域、現在でも、江戸時代の区画がよく残っていますが、多くは、住宅地になっています。江戸の名残を楽しむには、都合のよい地域といえますが、路地に住む人にとっては苦労が多いのではという気がします。
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2015年11月6日(金)
歴史散歩…寛永寺徳川将軍家霊廟、及び、その周辺…
10月25日(日)、錦絵・古地図・切り絵図・史跡を基に、その現在を訪ね、「時空を超えて残るもの」を検証する、歴史散歩。今回は、東叡山寛永寺谷中霊園の変遷、徳川将軍家霊廟(5代将軍綱吉・常憲院霊廟)の現状を見て、東叡山寛永寺の盛衰を検証することにします。※寛永寺特別参拝(常憲院霊廟のみ)に参加しました※
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2015年10月5日(月)
渡良瀬遊水地、タヌキマメの群生
植物研究者MOさん主催の渡良瀬遊水地植物観察会が10月3日にありました。9月10日の大雨から3週間経ちますが、遊水池内は、当然のことながら、ほとんど冠水し植物は泥だらけ。それでも、比較的浸水の少なかった藤岡渡良瀬運動公園を散策しました。サッカーコートの奥の草地にタヌキマメの群生を見ることが出来ました。
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2015年5月18日(月)
東京歴史散歩…品川−高輪−(古奥州街道)−三田…
5月11日(月)、錦絵・古地図・切り絵図・史跡を基に、その現在を訪ね、「時空を超えて残るもの」を検証する、東京歴史散歩。JR品川駅を出発し、旧東海道沿いに東禅寺、泉岳寺、高輪大木戸跡を辿りました。その後、元和キリスト教遺跡から崖を上り、更級日記縁の地、伊皿子貝塚遺跡を訪ねたあと、三田・綱坂へ。有馬屋敷跡から桜田通りを南下、JR田町駅へ向かいました。詳しくはこちらへ...

2015年5月8日(金)
渡良瀬遊水地、チョウジソウの群生
植物研究者MOさん主催の渡良瀬遊水地植物観察会が5月2日にありました。ヨシ焼きから1ヶ月程経ちますが、まだヨシは膝程度の高さ、そんなヨシ原をかきわけて、かなり歩き、小さな林に到着。そこには、青紫のチョウジソウの群落がありました。こちらへ続く。

2015年5月8日(金)
東京歴史散歩…増上寺伽藍、徳川将軍家霊廟の変遷…
4月6日(月)、錦絵・古地図・切り絵図・史跡を基に、その現在を訪ね、「時空を超えて残るもの」を検証する、東京歴史散歩。今回は、浜松町駅を出発し、旧東海道を横切り、徳川将軍家の菩提寺の一つ芝増上寺へ向かいました。増上寺塔頭は、寺域を狭めながらも、なんとか存続している寺院もありました。また、増上寺本体は、戦災に遭った事もあり、江戸期の威勢はすでになく、寂しさが感じられました。こちらへ続く。

2014年12月19日(金)
東京歴史散歩…旧藍染川(谷中、根津)−不忍池−旧忍川(上野、台東)…
12月1日(月)、錦絵・古地図・切り絵図・史跡を基に、その現在を訪ね、「時空を超えて残るもの」を検証する、東京歴史散歩。今回は、千駄木駅を出発し、旧藍染川沿いに不忍池へ、江戸期の不忍池を推定した後、三橋跡へ、旧忍川沿いにJR線路を越えて台東区中央へ進み、三味線堀跡に。谷中では古寺・大名屋敷跡を訪ね、台東でも大名屋敷の痕跡を探します。さらに、下谷御成街道付近の「下谷長者町」「松坂屋」まで歩き、御徒町駅終点でした。(全行程約6.5km)詳しくはこちらへ

2014年11月20日(木)
東京歴史散歩…浅草橋−東日本橋−旧日光街道−室町−常盤橋…
11月10日(月)、錦絵・古地図・切り絵図・史跡を基に、その現在を訪ね、「時空を超えて残るもの」を検証する、東京歴史散歩。今回は、浅草橋駅を出発し、神田川、隅田川沿いに薬研堀跡へ、御幸通りを通って横山町へ、ここから大伝馬本町通り(旧日光街道)をまっすぐ西へ、日本銀行を迂回して常盤橋門まで歩きました。(全行程約5.0km)
およそ300年ぶりに旧地近くに戻ってきた「初音森神社」、七味唐辛子発祥の地「薬研堀」、明暦の大火で移転した「西本願寺」その跡地、横山町問屋街、旧日光街道沿いに栄えた地本問屋「蔦屋耕書堂跡」・呉服店「下むら大丸呉服店跡」・紙木綿問屋「小津」等々、江戸の香りがあちこちに顔を出していました。常盤橋見附跡では、木造の橋はすでになく、震災で亀裂の入った石橋と、橋を覆うように高速度道路が目障りでした。詳細はこちらです。

2014年6月25日(水)
東京歴史散歩…東上野−元浅草−蔵前−鳥越-神田和泉町−秋葉原駅…
5月26日(月)、上野駅を出発し、東上野、元浅草、蔵前、鳥越、神田和泉町を経て秋葉原駅へ。江戸時代の錦絵・古地図・切り絵図・史跡を基に、その現在を訪ね、「時空を超えて残るもの」を検証する散策です。上野駅前→広徳寺跡→永昌寺→源空寺→聖徳寺→妙音寺→聖教寺→天台宗龍宝寺→松平西福寺→幕府天文台跡→浅草御蔵跡→首尾の松→浅草文庫跡→須賀橋→鳥越川川筋→鳥越神社→蓬莱園跡→医学館跡→国立衛試発祥の地→医学所跡→JR秋葉原駅(全行程、約6.7km)。詳細はこちらです。

2014年5月13日(火)
東京歴史散歩…三ノ輪−千束−吉原−山谷堀-今戸−旧猿若町−浅草寺…
4月21日(月)、三ノ輪を出発し、千束、吉原、山谷堀、今戸、旧猿若町を経て浅草寺へ、浅草六区を終点として歩きました。江戸時代の錦絵・古地図・切り絵図・史跡を基に、その現在を訪ね、「時空を超えて残るもの」を検証する散策です。三ノ輪歩道橋→音無川沿いに→大関横丁→三ノ輪橋跡→浄閑寺→千束稲荷神社→鷲神社→吉原遊郭跡→春慶院→土手通りを経て→山谷堀公園→新町役場跡(現都立浅草高校)→今戸神社→隅田公園→待乳山聖天→浅草追分→旧猿若町→姥ヶ池跡→二天門→浅草寺→浅草神社(三社さま)→浅草六区(全行程、約7km)。詳細はこちらです。

2014年2月28日(金)
初春の渡良瀬遊水地(野鳥)
アキニレの実を啄む、ベニマシコ、その名の通り「雄の赤」が美しい季節です。ベニマシコと交互にアキニレを訪れるカワラヒワの黄色も目立ちます。大きな写真はこちら。
※野鳥ミニ図鑑にクイナを追加しました。


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